親の目線でカメラを構えて子供を追いかける【GRⅢ作例】
いつも子供追いかけている。
娘は1歳3ヶ月で掴まり立ちから歩けるようになり、どんどん走れるようになっていった。いまは3歳となりよく走っている。
保育園に通うときも、公園にいくときも、走る。ただ娘は甘えん坊なので、私といるときは「抱っこ」とせがむことが多い。比率は、抱っこ:走る:歩く=4:3:2くらいか。
歩いている比率はもっと少ないかもしれない。それくらいよく走っている。(それ以上に私と出かけるときは抱っこが多いのだけれども)
子供を追いかけながら写真をとるときに視点がいくつかある。
私が大事にしているのは、親の視点のまま写真を撮ることを恐れないこと。これは一見凡庸な写真のようで見えて、思い出深いものになると思っている。基本は少し見下ろしの視点だったり、表情が見えにくいような写真になることも多い。子供にフォーカスを当てるなら、少し腰を落とした子供と同じ目線の写真のほうがいいだろう。
でも親のこういった目線も今だけのものだから、ぜひ撮っておきたいと思うのだ。
いつも子供の背中を追っていたし、いつも子供の後頭部を眺めながら歩いていたのだ。それを時々写真を見ると思い出す。
きっとこれからもずっと思い出すだろう。いずれ娘も背が伸び、私と同じような目線になってくる。そうなったらきっとこの時期のこの写真を見て私は泣いてしまうかもしれない。
もちろん子供の表情は少しかがんだほうがよく見える。地面に落ちた葉っぱを真剣に触っているときなんかは地面側から写真をとったほうがその真剣な表情も映ってとてもいい。
でもそれはきっと子供の写真を撮りたいからかがんでいるのではなく、もともと親として子供がどんな表情をしているか気になってしゃがみ込むのだと思う。
だからこれもきっと親の目線だ。
子供のことが気になって、一緒にかがんで地面を覗き込んだり、ふっと横をみてどんな表情をしているかを確かめて、そうしてふっとした瞬間にシャッターを切る。
これが楽しい。
あとで写真をみたときに、愛おしさと何とも言えないむず痒い感情が呼び起こされる気が多い気がしている。
あとはGRⅢは広角なので、この広角らしい写真も好きだ。
子供が走っていき、青空のした、道の向こうに走っていく。
小さい存在が必死に足を動かして前へ前へいく姿を広角のレンズで周囲の風景と一緒に撮影する。この道でこんなに小さい存在が、ちょっとずつ小さくなりながらも走っていく姿を見る。
ああ世界は大きくて、うちの子はまだちっちゃいなぁなんて思ったりする。
距離が空きすぎると慌てて大人の歩幅で一気に追いつこうとする。
そうやって私は今日も子供のあとを追いかけながらシャッターを切っている。