父親スナップ

GRにドはまりした父親。日々生きるのに必死。子育ても大変。

PENTAXのfilm projectに父が目を輝かせた話

RICOH GRⅢ

親子でカメラについて話す。

それがとても楽しいひとときだったことが自分でも嬉しかった。

 

私のカメラ趣味は父親譲りだ。父は私達家族のアルバムを白黒で作り続けてくれていた人だった。家には引き伸ばし機があり、週末に父親の書斎に黒い布を張り巡らせて暗室にした。赤い光のなかで、プリントを水洗液に浸し、洗濯バサミに挟んで干すのが私の仕事だった。

 

父の作業の半分もわかってはいなかったが、露光量を調整する姿は職人のようで面白かったし、水洗液のなかで浮かび上がってくる写真は私にとって魔法だった。

 

懐かしい。

 

けれどもどれも小学生の思い出だ。

 

中学に入れば、私も反抗期を迎えて一緒に作業することはなくなり、父にカメラを向けられるのも嫌がった気がする。学校のイベントが楽しくなり、漫画を読みふけり、ちょうど携帯が普及し始めるタイミングだったので、新しく搭載された写メールの画質をみんなで話し合っていた。

 

RICOH GRⅢ

父から再度カメラを教えてもらったのは高校生2年か3年になってからだったと思う。

 

使い込んだのはOLYMPUSのOM-4Tiだった。硬質なチタンの感触が好きだった。

AEモードが搭載されていて、シャッタースピードを気にしながら絞りを調整して、マニュアルでピントをあわせてシャッターを切る。それが楽しかった。使い込んだ。

 

社会人になって、父から譲り受けたものがある。

 

イカのM7だ。

 

父の使っていたカメラはだいたい4種。

F3、OM4-Ti、LX、そしてM7

 

ただどこかで話した通り、私は社会人になってから仕事の忙しさを理由に写真・カメラからしばらく離れることになる。

 

M7を使いこなすほど触れていないことだけが私のなかでまだまだ心残りになっている。これはいつか解消しなくてはいけない。

RICOH GRⅢ

父はもう写真を撮らない。

 

手元にはF3とOM-4Tiだけがおいてあるがフィルムは詰められていない。

私がGRⅢで写真とカメラに再度戻ったときに、父に話をした。「GRⅢはいいよ。親父も買うかい」父は答えた「フィルム時代から評判のいいカメラだったことは聞いていたよ。私はもう写真はいいよ。お前たちからプリントをもらうほうが好きだ」

 

でも時々孫を見ながらつぶやいている。

 

「時々モノクロで撮りたくなることがあるなぁ」

 

RICOH GRⅢ

2022年12月、PENTAXフィルムカメラを作る、という宣言をした。

父はその話を知らなかった。ネットニュースには疎い父だ。仕方がない

 

昨日それについて話したら、パっと目を輝かせた。

「ほんとか。新しく?レフレックスで?デジタルではなく35mmのフィルムでか?」

 

発表映像やインタビュー動画をiPadYouTubeで検索して、見せた。

耳の遠くなった父は音量を大きくして、iPadに耳を近づけて聞いていた。イヤホンを使うのも忘れて、夢中で聞いていた。

 

ありがとう。PENTAXリコーイメージング

父が楽しそうです。

 

「高いんだろうなぁ」と父が言う。

「フィルムも今や高いしね」と私も少し同調していう。でも父の嬉しそうな表情は変わらない。

 

「でもすごいなぁ。今から、フィルムか。すごいなぁ」

父が何度もつぶやく。

 

今から貯金するのも悪くない。

欲しいと思っていたFUJIFILMのX-T5を少し延期してでも、PENTAXの新しいフィルムカメラを買って父と2人であれこれ話すのも悪くはない。

 

そう思える週末だった。

 

 

 

 

じっと待つこと、を大人になってようやく覚えた【GRⅢ作例】

RICOH GRⅢ

子供はびっくりするくらい泣く。

だっこをして欲しいとき、だめだと言われたことをして怒られたとき、おかわりが欲しいとき……etc.etc.

 

娘は一度泣き始めると癇癪のようになってしまうことが多くあり、そうなると会話するのが難しかったり、意固地になってしまう。

 

こういうときに、じっと待つ、ということが重要で、ようやくそれができるようになった。

でも考えてみれば大人も同じようなもので、私は子供への対応ができるようになったのではなく、ただただ人への対応がようやくできるようになったのだなぁと感じる。

 

RICOH GRⅢ

そもそもじっと待つのは、「言うことを聞いてもらうため」ではなく「話をし始めるため」なのだ。泣いているのはすでに異常事態で、泣いている人は軽くパニックだ。そこに普段とは違う言葉が投げかけられ理解しているかを詰問される。「これはやっちゃダメだって言ったでしょ?わかる?」のような言葉だ。

 

怒られたから泣き始めたのに、泣いているときにはもう怒られている理由を考えたり理解するほどの余裕はない。泣いている、ということが頭のほとんどをパニック状態にしてしまっているのだと思う。

 

RICOH GRⅢ

 

よく企業のマネジメント研修で声を荒らげて叱責してはならない、という指導がされる。これは間違っていない。が、理由としてハラスメントになるから、の一言だけで済まされているとそれは不十分だと感じる。もちろん相手の尊厳を傷つけてはならない、ということに異論を挟むつもりはない。

 

だが部下の育成に感情を載せた指摘をしてはいけないのは、それが非効率的だからだ。感情的に叱ると、その発せられた感情に部下は萎縮し、思考が麻痺してしまう。「怒鳴られている」ということ自体がパニックを起こし、脳は思考停止になってしまう。そうなるともう何を言っても無駄だ。何が良くて何が悪かったのか、反省することすらできなくなってしまう。

 

そうではなく、これがミスであること、望ましくない結果を出していることは指摘しつつ、相手がパニックにならないように指導をしなくてはならない。

 

RICOH GRⅢ

子供相手でも同じだ。

パニックになっている人間に声を荒らげて叱ってはならない。それはパニックを加速させるだけなのだと思う。

子供は大人と比べればパニックになりやすい。なので、まずは落ち着かせる。大人は「落ち着いて」といえばだんだん落ち着くが、子供相手だとそれも通じない事が多い。

 

「新情報」だとパニックは加速してしまう。なので「旧情報」が有効となる。

 

私がこれに気づいたのは、友人が同意と共感を示して子供の気持ちを落ち着かせているのを見たときだった。

 

○○ちゃん、これやりたかったんだよね?

もっとこうしようって考えてたのかな?

これ、もっと続けたかったよね。

 

子供はとりあえず「うん」というだけでいい。そして自分の過去の行動が「旧情報」として出てくるので思考する必要がほぼない。そうやって会話しているうちに、子供が落ち着いてくる。

 

そうなって落ち着いてから「けどね、実はこれはダメなことなんだ」というのを落ち着いて伝えていく。こうすることでしっかりコミュニケーションがとれていた。

 

友人の子供への対応の仕方には非常に学びになることが多く隠されていた。

勉強になりました。

 

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

 

GRⅢはパーソナルスペースにいる人を撮るのに向いている【GRⅢ作例】

RICOH GRⅢ


先日、夢の国ディズニーランドへいった。GRⅢを携えて。

 

妻はディズニーが好きで、結婚前から何回も行っていたので、いつの間にか私もディズニー好きになっていた。でもGRⅢを持っていったのは初めて。

 

以前CanonKissX7を持っていったことはあって、そのときは確かにそれなりのキレイな写真が撮れたなぁということは覚えていた。でも確かそれも一度だけで、それ以外は基本iPhoneのカメラで写真を撮っていたように思う。

 

なんでiPhoneかといえば、それが楽だったから。あと当時はGRⅢをまだ持っていなかったから。

 

私たちにとってディズニーは楽しむ場所であって、写真を撮る場所じゃなかった。だからとりあえず楽しんでいて、その流れでiPhoneで写真をとる、という感じだった。ちょっと大きな一眼レフだと私たちの「楽しむ」の流れを損なう気がしたんだよね。これはもちろん個人差があると思うけど。

 

一度CanonKissX7を持ち出したのは、娘の初ディズニーのとき。いわゆる「ファーストビジット」のときだ。この時は、明確に「娘の初ディズニーの記録を残すぞ!」という強い意志があったから。実際、大人が楽しむ、というよりは、思い出作りのほうが比重が重くて、私はカメラマンとしてついていった、といっても良かった。

 

RICOH GRⅢ

で、今回。

 

今回は実は娘を保育園にあずけている間に妻と最後の二人きりデートでディズニーランドへ行った。妻は妊娠中であと数ヶ月もすれば第二子が産まれてくる。そうなったらきっと2人でどこかへ出かける、ということは向こう1~2年くらいは望めなさそう。

 

と、なったらこのタイミングを逃さず行ったほうがいいのかもしれない、と思い切った。

娘には秘密。ごめんよ。また必ず家族で一緒に行こう。

 

 

で、GRⅢ。

 

「楽しむ」を優先させながらキレイな写真を撮れるんじゃないかと思った。iPhoneほどぱきっとした完成されたキレイな写真ではなく、その場の空気感とかそういうのをうまくGRⅢなら写せるんじゃないかと。

 

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

このブログに人の顔が分かる写真は載せないことにしているので、必然的に物撮りの写真が多くなってしまうのだけれども、私はやっぱりGRⅢが好きだなぁと思った。

 

あ、と思ったときにすぐ撮れる。これはぶっちゃけiPhoneより速い。そしてシャッター音が小さい。相手に「いま撮ったで!」みたいなことを意識させにくい。「あ、撮ってるのね」ぐらいの雰囲気で写真が撮りつづけられる。

 

GRⅢはとくに広角なので、隣にいる妻、列で前に並んでいる妻を撮ることができた。これが40mmだと少しだけステップバックして撮るだろうなと思った。

 

やっぱりGRⅢはパーソナルスペースにいる人を撮ることに長けている、と感じた。

 

RICOH GRⅢ

妻と私は久しぶりに手を繋いで、ディズニーを満喫した。

 

妊婦なので、激しいアトラクションをたくさん乗ることはさけ、キャラクターに会い、ゆっくりとした乗り物にのり、ワゴンで買い食いをして、そしてずーっと娘とこれから産まれてくる第二子の話をしていた。

 

幸せな時間でした。

 

そしてその幸せな時間をGRⅢで撮った写真を見直しながら妻とこれからも何度も思い出すのだと思います。

 

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

 

親の目線でカメラを構えて子供を追いかける【GRⅢ作例】

RICOH GRⅢ

いつも子供追いかけている。

 

娘は1歳3ヶ月で掴まり立ちから歩けるようになり、どんどん走れるようになっていった。いまは3歳となりよく走っている。

保育園に通うときも、公園にいくときも、走る。ただ娘は甘えん坊なので、私といるときは「抱っこ」とせがむことが多い。比率は、抱っこ:走る:歩く=4:3:2くらいか。

歩いている比率はもっと少ないかもしれない。それくらいよく走っている。(それ以上に私と出かけるときは抱っこが多いのだけれども)

 

RICOH GRⅢ

子供を追いかけながら写真をとるときに視点がいくつかある。

 

私が大事にしているのは、親の視点のまま写真を撮ることを恐れないこと。これは一見凡庸な写真のようで見えて、思い出深いものになると思っている。基本は少し見下ろしの視点だったり、表情が見えにくいような写真になることも多い。子供にフォーカスを当てるなら、少し腰を落とした子供と同じ目線の写真のほうがいいだろう。

 

でも親のこういった目線も今だけのものだから、ぜひ撮っておきたいと思うのだ。

 

いつも子供の背中を追っていたし、いつも子供の後頭部を眺めながら歩いていたのだ。それを時々写真を見ると思い出す。

きっとこれからもずっと思い出すだろう。いずれ娘も背が伸び、私と同じような目線になってくる。そうなったらきっとこの時期のこの写真を見て私は泣いてしまうかもしれない。

 

もちろん子供の表情は少しかがんだほうがよく見える。地面に落ちた葉っぱを真剣に触っているときなんかは地面側から写真をとったほうがその真剣な表情も映ってとてもいい。

 

でもそれはきっと子供の写真を撮りたいからかがんでいるのではなく、もともと親として子供がどんな表情をしているか気になってしゃがみ込むのだと思う。

 

だからこれもきっと親の目線だ。

 

子供のことが気になって、一緒にかがんで地面を覗き込んだり、ふっと横をみてどんな表情をしているかを確かめて、そうしてふっとした瞬間にシャッターを切る。

 

これが楽しい。

 

あとで写真をみたときに、愛おしさと何とも言えないむず痒い感情が呼び起こされる気が多い気がしている。

 

 

RICOH GRⅢ

 

あとはGRⅢは広角なので、この広角らしい写真も好きだ。

子供が走っていき、青空のした、道の向こうに走っていく。

小さい存在が必死に足を動かして前へ前へいく姿を広角のレンズで周囲の風景と一緒に撮影する。この道でこんなに小さい存在が、ちょっとずつ小さくなりながらも走っていく姿を見る。

 

ああ世界は大きくて、うちの子はまだちっちゃいなぁなんて思ったりする。

 

 

距離が空きすぎると慌てて大人の歩幅で一気に追いつこうとする。

そうやって私は今日も子供のあとを追いかけながらシャッターを切っている。

 

そのシャッターは軽いか重いか【GRⅢ作例あり】

RICOH GRⅢ

写真を撮りたい。写真は素敵だ、と思って普段から写真を撮っているけれども、時々「こんな風に写真を撮ってていいんだっけ」ということも考えてしまうのが写真に関わっている素人の性(さが)でもあると思う。

 

要は「シャッターを切るときの気持ちに無頓着すぎると、その無頓着さに自分で恐ろしくなってしまうことがある」という感じ。

特にこれは撮った写真をPCに取り込んでざっと見ているときにあまりビビッと来る写真が少なかったとき、すなわち撮れ高が少なかったときによく考え始める。あれ、私このとき何考えて撮ってたっけ。なんかもっと構図とか露出とかしっかり考えて撮らないとだめかもしれない……、このままでいいのかしら…。

 

結論は「いいんだよ!」なのだけれども、ときどきこの思考の沼にハマってしまうことがあるので、一度少し考えてみようと思う。

 

RICOH GRⅢ

自分がシャッターを切っているときに思うことは基本的には「なんかいいな」である。なんかいいな、と思ったから写真を撮る、というのが私のなかで最低限のルールとなっている。

 

これは実はとっても大事で「なんか良い」という感覚が先で、そのあとで「何がよかったんだろう」と思考がついてくる。できればまずはその感覚で先にシャッターを押す。これはきっと軽いシャッターだと思う。

 

で、少し考えてから「思考」がついてくる。何がよかったんだろう。何に惹かれた?それをちょっと考えて、それがちゃんと写真のなかに入っているかどうかを確認する。これはちょっと重めのシャッター。

 

難しいのは重めのシャッターを切っていると、どんどんどんどんシャッターを重くなってしまうということ。構図は……とか露出が……と考えているとどんどんシャッターは重くなる。私のような素人はここが遅いので、重くなりすぎる。重くなりすぎると私はシャッターを切るのを止める。きっとプロはここでシャッターが重くなりすぎないうちに決めきれるんだろうなぁと思う。

 

RICOH GRⅢ

GRⅢは28mmなので、ときどき軽いシャッターで切っていると、写った写真が広角でなにに心動かされたのか、ということが分からない写真ができるときがある。これはちょっとした技術不足だと思う。

 

渡部さとるさんが以前動画で「ぼくはどんどんクロップしちゃう。そうやって気軽にやったらいいよ」とおっしゃっていてから私もどんどんクロップするようにした。(プロの方がいうと説得力があって、私もハードルが下がる。ありがたい)

 

35mm、50mmにすると主題が明確になる。あ、この心の動きならクロップしちゃおう、と思って実行するまでを以下にスムーズに早くできるか、ということだと思う。

 

 

一方で身近な心動いたものをぱっと捉えることができて私はこの画角がとても好きだ。子供が机の向かい側で何かを美味しそうに頬張った、となりで座っている娘の髪が光にあたってキラキラしている。向かいの席の妻が料理をみて笑顔になる。

 

28mmの画角は自分のパーソナルスペースにいる人を撮る画角だと思う。

 

RICOH GRⅢ

そういう意味でGRⅢは本当にスナップシューターなのだと思う。一瞬を捉える。この「一瞬」っていうのは対象物のことではなくて、撮影者の心の動きなのだと思う。一瞬の心の動きについてきてくれる機動性、小型さ。

 

「これでいいのかしら」という思考に囚われそうなときはいつも「これでいいのだ」と思っている。まずは心が動くことに突き動かされて写真を撮るようにならなきゃ。心の動きに追従できる技術を少しずつ見に付けていこう。私の場合は、GRⅢが相当に底上げしてくれているけど。

ちょっとだけ、と唱えながらなんとか子供を寝かせたい

RICOH GRⅢ

「ちょっとだけ」という魔法のコトバが我が家にはある。

 

お昼寝をするのは嫌だ。夜寝るのも嫌だ。せっかくいま楽しく遊んでいるんだから、この楽しいのをもっと続けたいんだ。嫌だ嫌だ。

 

世にいう「イヤイヤ期」が我が家にも来ている。妻も私もイライラが限界にきて、もう知らないよ、という反応をしてしまうこともある。特に寝る前が一番ひどい。たぶん眠気も来て本人も訳が分からなくなっているんじゃないかと思う。

 

けれども最近少しだけ攻略方法がわかってきた。

100発100中なんてものは育児において存在しないわけだけど、これは比較的ヒット率が高い。

それが、「ちょっとだけ」だ。

 

RICOH GRⅢ

一番カンタンなパターンはこう。

 

「寝るの嫌だあ!」

「そっかぁ。ガッツリ寝るのは嫌だよね。でもちょっとだけ寝てみない。ちょっと寝て、起きたらまた遊ぼうよ」

 

うまくいくときはラッキー。兎にも角にも「寝る」のハードルが高い。これを「ちょっとだけ」と低くし、ついでに「パパも一緒に寝るから」みたいな感じにすると、そこそこ「うん」となることもある。

 

でももちろん「ちょっとだけでも寝るのはいやだ!」となることも多い。

 

そうなると今度は別の「ちょっとだけ」をやる。今度は「やりたいことをちょっとだけ」のパターンだ。

 

 

「そんなに寝たくないのか。寝ないで何するの?」

「おままごとするの!!!」

「そっかぁ。じゃあ『ちょっとだけ』おままごとする?」

「…うん」

「でもおままごと、『ちょっとだけ』だよ?お約束できる?」

「うん」

 

で、意外と一緒におままごとしていると、ものの2~3分程度で本人が満足することがある。なんだったら意外なことに「このお買い物が終わったら一緒に寝ようね」と自分で終わりを決めてくることすらある。不思議だなぁ。

 

これを我が家では「ちょっとだけ、で気を済ませる」と言っている。

RICOH GRⅢ

子供のイヤイヤ期やわがままに親が忍耐力を発揮しつつ付き合う、というのが基本路線だと思うけれども、親がどういう対応をしているのかを子供は本当によく見ているのだと思う。

 

先日、家電量販店にいったときに、娘がおもちゃコーナーへ行きたがった。私は私でカメラコーナーに行きたくて(これはFUJIFILMのX-T5の実機をどうしても触ってみたかった。ちなみにすごくコンパクトでいい重みで私は一瞬でそれに魅了された)、エスカレーターで登りながら、どっちに先にいくかで娘と押し問答になった(3歳児となにをそんなにぶつかるのか、という呆れはご遠慮ください。あるよね、そういうこと、あるよね?)

 

そのとき、娘が言うのである。

 

「じゃあパパ、ちょっとだけ、カメラ見に行こう?ちょっとだけ。ちょっとみたら、私と一緒にアンパンマン見に行こう。だから、ね?ちょっとだけ」

 

 

深淵を覗き込むとき、深淵も私達を覗き込んでいるわけである。

そんな深い話じゃなく、子供の学習能力というか、普段自分がどれだけ「ちょっとだけ」を連呼しているのか、思い知らされたという話。

 

おしまい。

 

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

RICOH GRⅢ

 

いきなり否定されたらいやだもんね、という話

RICOH GRⅢ

娘が「どんぐり探す」といって公園を歩き出した。私は「おっけー」といって一緒に歩き回る。

 

どんぐりっていつまで落ちているものなんだろう?パッと見渡す限り公園にはどんぐりはなさそうである。あれって秋じゃなかった?真冬にあるっけ?

 

そういった言葉はぜんぶ飲み込む。

 

娘はずんずん公園を進んでいく。

 

前はあの木の下にあったから見に行ってみようか。

いいよいいよ。

パパ、ここ高いから娘ちゃん登れないのよ、抱っこして

ほいほい。ここにあるかな?

あるかな?あるかな?あったらいいな~

 

RICOH GRⅢ

結局どんぐりはなかった。

 

一通り公園を全部歩き回った娘は「どんぐり、ないみたい」と結論づけた。私も「そうみたいだね」と返す。

 

娘ちゃん、もしかしたら寒すぎてどんぐりの時期おわっちゃったのかもしれないね。

そうね。

前はここらへんにたーくさんあったのにね。

前はたくさんあったよね!ここにばーってたくさんあった!

 

ひとしきりたくさんのどんぐりを想像して興奮したあと、娘はあっさりと「シャボン玉やろっか」と次の遊びへと移っていく。

 

RICOH GRⅢ

いきなり会話を否定から始められたらイヤだもんね、ということは私が友人と子供の会話を聞いていて気づいたことだった。

 

その友人はどんなこともまずは「へ~そうなんだ」と受け止めていた。例えそれがどんなに突拍子もないことだったとしても、まずは「あ、そうなの?」と返す。ちゃんとあなたの言ったことを受け取ったよ、と返すのが絶妙にうまかった。

 

例えば保育園のお迎え時にいきなり子供が「今からディズニーランドに行きたい」と言い出す。「え、それは無理よ」と返したくなるが、友人は「あ、そうなの?ディズニー?」とまずは返す。続いて「ディズニーで何したいの?」と聞く。「ベイマックスのる!」と子供。「ベイマックスか~、あれいいよなぁ。でも今日はちょっともう夜だから今から行くの厳しいかもしれないなぁ」「え~」「今度いつ行くかママとも一緒に相談しよっか~」「うん!」

 

穏やかな会話だな、というのが友人の会話の特徴だ。

そして会話が続いていく。子供がぐずることが少ない。

 

「ディズニーいまから行きたい」「無理よ!」というのは会話というよりは主張の応酬だ。行ける/行けないでいえば、「行けない」で確定なわけだが、そこに行き着くまでに会話するかどうかだなぁと思う。

 

RICOH GRⅢ

 

先日保育園にお迎えにいったら、娘とその友達が駆け寄ってきた。「ねえねえ見てみて!今日公園でどんぐり拾ったの!!!!」

 

え、まじで?この前ネットで調べてみたら、どんぐりは11月下旬くらいまでって書いてあったけど、と思って2人が差し出しているビニール袋を見ると、葉っぱと土にまみれたボロボロのどんぐりが大量にはいっていた。

 

あ、、、埋まりかけていたやつ掘り起こしたのね…。

 

横でみると娘の友達のお母さんが疲れ切った顔でそのビニール袋を見ていた。

…わかります。このどんぐり、このあとどうすんねん…。

どうしましょうね、と2人で笑い合ってから、それぞれの子供からどんぐり発見までの冒険譚を聞くことにした。

 

そんなお話。

 

RICOH GRⅢ