父親スナップ

GRにドはまりした父親。日々生きるのに必死。子育ても大変。

料理と家族と写真【GRⅢ作例】

料理が好きだ。

 

いきなり写真と全然関係ない話題からはじめてしまうけれども、私は料理が好きだ。そして料理という作業に私自身が救われている部分が多い。

 

我が家では料理はほぼ私の担当となっている。妻がうつ病になってから、妻は料理ができなくなった。私は必要に駆られて料理をするようになり、そして育休をとったタイミングで三食すべて作って回せるようになった。

 

RICOH GRⅢ

 

料理は面白い。なによりも料理はちゃんと完結する。これがいい。

 

仕事というものはどうしても翌日に持ち越したり、誰かのボールになったところで停滞してしまったりして、すっきりしないまま終わっていない状態で長時間過ごすことに鳴ることも多い。

 

一方で料理は完結する。何かを作り始めれば、料理ができあがってそれが人に食べてもらって終わる。もちろん端材がでたり、面倒な鍋洗いがあったりと面倒な作業が発生することもある。けれども、料理自体は作り終えることができる。

 

この完結する作業というのが妙にすっきりとしてストレス解消になることがある。

「よっしゃ~できた~」という達成感が確実に得られる。私は仕事に煮詰まったときほど料理に救われている気がする。

 

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そして料理は簡単にスキルアップできる。

 

このスキルアップというのは、包丁で切るのがうまくなるとか、そういう技術面だけではなく、単純に作れるレシピが増える、ということも含む。今日はカレーを作ったが、明日は入れるルーを帰るだけでシチューができたりする。そうすると私はカレーも作れるし、シチューも作れるわけだ。こうやって「作れるものが増える」というスキルアップはいとも簡単に実現される。

 

実はこれは楽しい。

 

以前はパスタしか作れなかった(しかも既存のソースと混ぜるだけの)私が、色んな種類の料理を作れるようになっていく。これを成長と呼ばずしてなんと呼ぶのだろうか。

そう、料理は簡単に成長実感を連れてきてくれるのだ。ありがたい。

 

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そして効率化も楽しい。

 

同じ料理が作り慣れてくると、だんだん作業が早くなってくる。一つ一つの作業が早くなるというよりは、同時並行できる作業が増えてくる。

以前は単一の作業を続けていくことしかできなかったが、今だとこれを炒めている間にまな板を洗ってしまおう、という感じで同時に片付けもできてしまったりする。

 

2~3品作る場合も、どこで1つの料理から少し手が離せるか、その間に別のどんな作業をしてしまうか、が頭のなかで考えられるようになること、それ自体が面白い。

 

 

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そうやって料理を楽しんだ私は、時々自分の料理を写真にとっておく。

日常に溶け込みすぎた料理という作業は、放っておくとなんの印象もなく過ぎ去ってしまう。

 

がんばっていた記憶と、美味しかった記憶、料理が楽しかった記憶、それらはぼんやりと残っている。これを写真に残す。そうするとなんてことない「ただの家庭料理」の写真がこれらの記憶と相まって「家族の歴史」のような様相を呈してくる。

 

失敗した豆腐ハンバーグも(水気が多すぎて崩れた)、焦がしてしまった塊肉も(中に火が通ったか不安で)、やらかしてしまった最初は「ぎゃー」という感じだったのに、あとから見るとまた違った観点でみることができる。

 

もちろん料理だけじゃなくて、料理を食べて美味しい美味しいと言ってくれる妻と娘の写真もとっておく。今の家族の肉体的な身体を作っているのは間違いなく私の料理なのだなぁと実感したりする。

 

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もちろん料理が面倒なときもあるんだけど、それでも妻と娘が喜んで食べてくれて、私も作ることによって支えられているところがあったりして。

 

まさか自分がこんなに料理好きになるとは思わなかったけど、料理っていいよね~と思っている。

 

 

また写真もたくさん取ろう。失敗した料理でも勇気を持って。

下手に記録を意識すると面白くない写真になってしまうので、自分で料理つくって心が動いたときにまたそっとシャッターを押すことにしよう。

 

 

おしまい

RICOH GRⅢ

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